■イギリスの情報機関「GCHQ」と「MI6」:サイバーセキュリティの国家的取り組みと日本企業が学ぶべきポイント
1.はじめに
国家レベルでのサイバー脅威は年々深刻化しており、国防や外交だけでなく、経済活動や民間企業にも直接的な影響を及ぼしています。特にイギリスは早くからサイバー防衛の重要性を認識し、政府機関を中心に強固な対策を築いてきました。その中心的役割を担うのが GCHQ(Government Communications Headquarters=政府通信本部) と MI6(正式名称:Secret Intelligence Service=秘密情報部) です。
GCHQもMI6も現代世界のサイバーセキュリティにとって非常に重要な役割を担っている機関です。実は、未来研究所が提供するプラットフォーム脆弱性診断ツール『イージスEW』を開発したTitanium Defence社の主要メンバーも、これらの機関の出身者です。
この記事では、それぞれの機関の概要とサイバーセキュリティにおける役割、そして日本企業がそこから学べるポイントを整理します。
GCHQ(Government Communications Headquarters)
GCHQの公式紹介ページ
GCHQ - GCHQ.GOV.UK
NCSC(National Cyber Security Centre)
イギリス(UK)の国家サイバーセキュリティセンターNCSCも、GCHQ の一部門として運営されており、ガイドラインや脅威情報が公開されています。
National Cyber Security Centre - NCSC.GOV.UK
MI6(Secret Intelligence Service, SIS)
MI6(SIS)の公式紹介ページ
Home | SIS
2.GCHQ(政府通信本部)とその役割
GCHQは、イギリス政府の情報機関であり、主にシグナル・インテリジェンス(通信傍受・暗号解読)とサイバー防衛を担当しています。GCHQの前身は、1919年に設立された政府暗号学校(GCCS)で、第二次世界大戦時にドイツの暗号「エニグマ」を解読したことで有名です。政府暗号学校に在籍していた「コンピュータ科学の父」「人工知能(AI)の父」とも呼ばれるアラン・チューリングをご存じの方も多いことでしょう。
GCHQは冷戦期から暗号解読で世界的に知られる存在でしたが、近年ではサイバー攻撃対策の最前線機関として注目を集めています。
NCSC(National Cyber Security Centre)の設立
2016年、GCHQの一部門としてNCSC(国家サイバーセキュリティセンター)が設立されました。NCSCは英国のサイバーセキュリティ対策を統括しており、政府機関や民間企業、一般市民に向けてサイバー脅威に関する情報提供や防御策を支援する窓口となっています。
NCSCは、企業に向けてセキュリティガイドラインを公開し、脆弱性報告制度を整備し、ツールを公開するなど、国家レベルでサイバーセキュリティの底上げを行っています。
能動的サイバー防御
GCHQは防御だけでなく、攻撃的サイバー能力も保有しているとされ、テロ組織や外国のスパイ活動への対抗に利用されています。これは「能動的サイバー防御」の一環として位置づけられています。
国際的な情報共有ネットワーク
GCHQは単独で活動するのではなく、アメリカのNSA、カナダのCSE、オーストラリアのASD、ニュージーランドのGCSBと共に「ファイブ・アイズ」と呼ばれる強固な情報共有ネットワークを形成しています。この枠組みは冷戦期から続く長い協力関係に基づいており、特にサイバー分野においては、各国が検知した攻撃の手口や新たな脆弱性の情報を迅速に共有する仕組みが整備されています。こうした国際連携は、国家間をまたぐサイバー攻撃に対抗する上で欠かせない要素となっています。
民間との協力と教育的役割
また、GCHQは単に政府や軍を守るだけでなく、民間企業や研究機関との連携を積極的に進めています。特にNCSCを通じて中小企業向けのセキュリティガイドを公開したり、教育プログラムを提供したりすることで、社会全体の防御力を底上げしています。さらにサイバーセキュリティ分野の人材育成にも注力しており、奨学金制度や若者向けの研修プログラムを通じて次世代の専門家を育成する取り組みを行っています。GCHQのこうした活動は、単なる諜報機関という枠を超え、社会基盤を支える「国家的なサイバー教育機関」としての側面も持ち合わせているのです。
3.MI6(秘密情報部)の概要と役割
MI6(正式名称:Secret Intelligence Service=SIS)は、主に国外での情報収集やスパイ活動を担うイギリスの情報機関です。アメリカのCIAやイスラエルのモサドと並ぶ世界有数の情報機関として知られ、英国の国家安全保障戦略において中心的な役割を果たしています。従来は外交官や工作員を通じた人的諜報(HUMINT)を得意分野としてきましたが、21世紀以降はサイバー空間が新たな戦場と化したことにより、その活動領域は大きく拡張されました。サイバー領域は匿名性が高く、攻撃者の特定が難しいため、人的ネットワークと技術的手段を組み合わせた多角的なアプローチが不可欠となっています。
外国サイバー脅威の監視
MI6は国外から英国に向けて仕掛けられるサイバー攻撃や情報操作を監視し、国家安全保障上の脅威を早期に察知する役割を担っています。特に国家主導型のサイバー攻撃、経済スパイ行為、インフラに対する侵入、さらには選挙や世論形成に干渉する情報操作などは、MI6の重点監視対象です。国外に広がる情報源を通じて「どの国や組織が、どのような目的で攻撃を準備しているか」を把握することで、政府の意思決定や防御策に直結するインテリジェンスを提供しています。
サイバーと人的諜報の融合
サイバー攻撃はしばしば高度な技術に裏打ちされていますが、その背後には必ず人間の意思や政治的目的があります。MI6は伝統的に培ってきた人的諜報網を活用し、潜在的な攻撃者の意図や資金の流れ、同盟関係などを明らかにすることで、技術情報だけでは見えない脅威の全体像を浮かび上がらせます。例えば、ある国が大規模なサイバー攻撃を計画している兆候を察知した際、その動機や標的の優先順位を明確にできるのはMI6ならではの強みといえます。
GCHQとの連携
MI6とGCHQは密接に協力し合い、互いの専門分野を補完しています。GCHQは暗号解読や通信傍受などのシグナル・インテリジェンス(SIGINT)に強みを持ち、技術的な分析力で世界的に評価されています。一方、MI6は国外での人的諜報や秘密工作に優れており、現場からの生の情報を収集します。両者の連携により、サイバー攻撃の技術的痕跡と背後にある組織・国家の意図を結びつけることが可能となり、英国は世界でも有数の強固なサイバー防衛体制を維持しています。
国際協力と攻撃的サイバー能力
さらにMI6は、米国のCIAやNSA、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドといった「ファイブ・アイズ」の諜報ネットワークの一員として国際的な情報共有にも積極的です。サイバー脅威は国境を越えて拡散するため、同盟国との緊密な協力は不可欠であり、MI6はその調整役としても機能しています。また、防御に加えて攻撃的サイバー能力を持ち合わせているとされ、テロ組織の通信妨害や外国のスパイ活動の無力化など、能動的な対抗措置に活用されるケースもあります。
4.イギリスの取り組みから日本企業が学ぶこと
GCHQやMI6の活動は国家レベルのものであり、直接的に民間企業が関与できるものではありません。しかし、日本でも「サイバー対処能力強化法及び同整備法」、いわゆる能動的サイバー防御法が成立したことにより、イギリスと同等の取り組みが今後必要になる可能性があります。イギリスの国家的なアプローチから日本企業が参考にできるポイントは数多くあります。
情報共有の仕組みづくり
NCSCは企業と政府の間で脅威情報を迅速に共有する枠組みを整備しています。日本企業も業界団体や公的機関と連携し、インシデント情報を迅速に共有することが有効です。
防御と攻撃の両面を考慮する視点
GCHQが実践しているように、防御策を強化するだけでなく、攻撃を前提としたレッドチーム演習や脆弱性診断を行うことが重要です。
経営層への啓発
英国では政府機関が積極的に企業経営層へサイバーリスクを伝え、投資判断に直結させています。日本ではまだ政府機関が積極的に企業に情報提供するというフェイズではありませんが、日本企業でも「サイバーセキュリティはIT部門だけの課題ではなく経営課題」という認識が必要です。
5.まとめ
イギリスのGCHQやMI6は、国家レベルでサイバー防衛と情報収集を担い、世界有数のサイバーセキュリティ体制を築いています。その中で特に注目すべきは、政府と民間が協力し、情報共有と防御体制を一体的に整えている点です。
日本の一般企業にとっても、こうしたイギリスの国家的な取り組みは大きな気付きを与えてくれます。
日本でも能動的サイバー防御法が成立したことなどから分かるように、国家的なサイバーセキュリティ対策は一層の重要性を増しています。
一般企業も、サイバーセキュリティを単なるコストや他人事ではなく、自分ごととして事業継続と信頼の基盤と位置づけ、定期的な脆弱性診断やインシデント対応計画を整備することが今後ますます重要になるでしょう。